マイセンクリスタルの始まり
ポーランド北西部シュテッティーン出身のホルスト・ゼンディッヒは、第2次世界大戦の混乱が続く1947年に、マイセンにクリスタルガラス研磨工場 「ホルスト・ゼンディッヒ」を設立。手作業によるクリスタル製品はすぐに有名になり、1956年にはアメリカへの輸出が始まりました。しかし、1972年、「ホルスト・ゼンディッヒ」は、東ドイツ政府によって国営化され、「VEB(国民所有企業) マイセンブライクリスタル」となりました。
国営化後も、専門家として引き続きマイセンクリスタルを支えたゼンディッヒにとって、この時期は苦悩の時代でありましたが、新しい国の管理下で、それまでは実現不可能であった、マイセン磁器製作所の柄を用いたグラスの製作が可能となりました。
マイセン磁器製作所の協力を得ることにより、ガラス仕上げ加工の芸術性を、さらに高い水準に引き上げることができ、結果的に国営化はマイセンクリスタルにとって実り多いものになったといえます。